はてなの決心高度

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。

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日本のニュースはフェイクニュースだらけ

フェイクニュースなるものへの規制をネットメディア各社が強化していくそうだ。日本でもそれを推進したい勢力が海外の罰金刑の例を挙げている。しかし、日本のニュースはそもそもニュースソースの段階でフェイクニュースばかりであり、規制してしまったら流すニュースが無くなってしまうのではないだろうか。

例えば、女性アイドルが自分には彼氏はいないなどと言ったところで実際はそうではないなどという話は週刊誌の格好のネタであるし、清純なイメージの筋書きを芸能事務所が作ってマスコミに流して、一部の熱狂的なファン達に都合の良いアイドル像を持たせて売り込もうとする。それは別に男性アイドルでもよいわけだが、同年代のファン達が結婚していい歳した子供もいる年齢になっても独身を強いて、グループで行動して芸能事務所が用意した楽曲を歌わせるなどというのもおかしな話で、こんなのも芸能事務所が用意したイメージの筋書きに沿って芸能人を行動させ、マスコミもこれに沿った話を流してイメージ作りに加担しているのである。要するに、芸能ニュースはフェイクニュースである。

同じような理屈、誰かが都合の良い筋書きを書いて、ニュースの場に流して既成事実を作り上げる行為は政治にも経済にも言える。マスコミ自身にもだ。

中国や北朝鮮が対外膨張政策をとると、必死でその援護をする一部の政党やマスコミ。他国の不穏な動きを批判したり警戒する発言が政権与党から出るとレッテルを貼って倒閣運動までしようとする。こんなのも、政府が国家存続に危機を感じる事態と認識しているからこそ出る発言を封じようとしているのだから、どこかの他国の意向を受けたフェイクニュースだろう。

あるいは、市民団体の活動と称して行われる反日活動も、どこかの国から資金提供を受けて行われているテロの一環かもしれない。敵が攻め込んできたら飲み会をやって話し合うという市民団体の主張を好意的にマスコミが取り上げる一方で、いざ有事になると誰も飲み会を開催しないし、過去にそのような発言があったことも報じない。どう見ても特定の国に肩入れしているが、それをあくまでも市民レベルの自発的な運動だと主張し報じているのだとすれば、団体のニュースリリースもマスコミ報道もフェイクニュースである。

過去には日本社会党ソビエトから資金提供を受けていたことが冷戦後に判明した。日本の政党の主張に偽装して、ソビエトの対外政策の方針に沿った主張を行い、日本の政治に介入しようとしていたのである。近年でも北朝鮮の不審船や拉致問題を必死で否定してきたのは記憶に新しい。要するに、日本社会党はフェイクニュースを垂れ流して国民を騙してきたのである。当時の日本社会党の主張を報じるのみならず、「おたかさん旋風」などといってもてはやしてきたマスコミは、フェイクニュースを規制しようとする現在の動きをどう思うのだろうか。

勿論、与党が自陣営に都合の良いようなニュースを流して世論操作印象操作をしている可能性だって否定は出来ない。というより、絶対やっているに決まっている。

なぜなら、日本のマスコミは記者クラブや通信社ネットワークで情報源からリリースされるニュースをそのまま垂れ流すのが仕事であって、独自に取材した内容を報じる所は皆無だからだ。独自取材をしたところでニュースをくれる国会や警察や企業から嫌がられて、他社との報道競争の中で報じるニュースに事欠いて負けてしまうのが目に見えているから、そんな冒険はしない。つまり、日本型の報道システムはフェイクニュースの流布に都合がいい。

そんな構造の中でニュースソースの真贋判定などできないし、それでも徹底検証していったら世の中フェイクニュースだらけということになり、ニュースを流す側も批判する側も皆、都合の悪い面があり、それを隠してフェイクニュースを流しているので誰も批判できなくなってしまう。だからお互い目を瞑り合っている。どこの国の主張を垂れ流しているのか不明な朝日新聞赤旗、それを批判する産経新聞、この両極端な新聞が日本という国の中で何年も共存できている理由が分かるだろう。

出版不況とテクノロジー

小説を読んでいると、設定が時代について来れない部分を感じる。

昔なら鉄道は密室状態で停車するまでの連絡手段は列車無線や窓から手紙の投下くらいしかなかった。今は個人の端末で連絡し放題だ 。ニュースも翌日の新聞までとか伝わるタイムラグがあったが、ネット配信やTwitter辺りのタイムラインではその場の情報が すぐ流れる。街頭は監視カメラだらけで行動は筒抜けだ。

つい最近まではあの設定で通用したのだ。携帯電話が普及して日本国民の二人に一人がネットを使うとか言われていた頃は、 まだまだ古い価値観の設定が通用した。だが、皆がスマートフォンを使うようになった辺りから少しずつ変わり始めたように思える。

時代によって進化するテクノロジーより、人間の内面に注目すべきかといえば、それは疑問である。人との接し方についてすらスマー トフォンで手法を検索していそうな昨今では結局技術に振り回されるだろう。

出版不況が叫ばれており、様々なものに皆原因を求めている。だが何より、読者や筆者自身が納得できるような設定が書きにくくなっ ている社会も原因ではないだろうか。

ネット叩きのいち側面

暴力団が社会の表裏を支配しており、地域住民も事あるごとに暴力団を動員して物事を解決しようとする体質で有名な九州のある市で、 既婚の巡査部長が重婚をしようとして懲戒処分になったという。

この土地の本来の体質ならば処分せず見逃して、むしろ内部告発者を始末しようと動くから、珍しい結末である。 きちんとマスコミ報道して悪事があったと公表することは重要だ。それによって、事件が衆人環視の中に置かれて不正な対応をとりにくくなったのだ ろう。穿った見方をすれば、ネット住民による監視社会の影響で閉鎖的な村社会の体制がほころんでいるのかもしれない。

ネットで事件の犯人について叩く風潮をネットいじめだと主張する向きもあるが、むしろ被害者の弱者には助け舟だろう。

横浜市の学校で起こった教師による福島出身の被災者へのいじめ行為の隠蔽と、その後の教育委員会の数百万円の金銭授受はいじめではなくおごり だったという報告書も、ネット住民がおかしいと大々的に騒がなければ学校という密室の中でうやむやに処理され、 被災者の子供は大人公認でゆすりたかりできるというレッテルを貼られて、今後もつらい思いが続いたに違いなかったのである。 ネット住民の監視と容赦ない叩きのおかげで横浜市教育委員会による組織ぐるみの金銭恐喝から被害者を救ったのだった。

学校とか村社会のような、この種の閉鎖的な体質の場所で内部の連中の憎しみや妬みを一方的に受けたとき、従来できたことはやられる立場に甘んじるか、 そこを逃げ出すしかなかった。

私もたかが大学受験したいというそれだけのことで、村社会の序列が揺らぐ余計なことをしようとしているとされて、地域ぐるみで脅迫された。そして、 ある寒い夜にこっそり家出して線路伝いに逃亡し、上京した。ホームレス同然の生活で大変だったが、きちんと進学するべきところには進学できた。 たかが紙に何か書くだけに過ぎない入学試験ごときで揺らいでしまう、その程度のものが地方の住民が重んじる地元の秩序だった。

今はネット叩きを通じて世間一般のまっとうな価値観で物事を評価してくれる場所がある。これは閉鎖的なコミュニティで孤立して追い込まれる弱者には希望 である。スマートフォンでも何でも、ネットに情報発信できる方法があったら、それ自体が反撃手法であり、もう孤立して悩まなくて良い時代になった。 ネット炎上や人肉検索にはそのような一面がある。