はてなの決心高度

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。

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利権としての歴史は終わった

中国で反日感情が噴出している。

日本が戦争中に蛮行をしたので謝罪と賠償をしろ、その上自国に企業を進出させて人民から搾取しているのが許されない、先進国なのが生意気だ、対外的に戦勝国である自国よりも敗戦国が有利に振舞える立場が憎い、自国の権益に反する資源開発や領土問題で譲らない…彼らの主張のいくつかを要約するとこんなところであろうか。

反日デモを静観したり、殊更に自分たちと関係ないと主張する中国政府の対応も面白い。かつて世界中から顰蹙と非難を買った天安門事件法輪功問題などでは、特定の思想を持ち、一致団結した人々が集会を開いたり、実際に行動に打って出る事を警戒していたし、思想を持つこと自体でも弾圧や加えたり厳しい監視を敷いていたのだが。90年代の東欧の民主化の過程からも分かるように、抑圧的な体制の下では人々が集会を開くこと自体が、政権転覆を引き起こす民主化革命の原動力になりかねない。これまでそのことを至極承知し、殊更に警戒していた国が中国ではなかったのか。あの体制は群集を抑圧出来ないほどに弱体化したとでもいうのか。それとも裏で糸を引いているのが、やはり中国政府なのだろうか。

最近マスコミに登場する中国の報道官やら政府高官はこぞって日本の右傾化を非難し、教科書問題に口を挟んでくる。靖国神社や歴史問題を外交のカードに使うことに味をしめている。ところで、日本の教育はそこまで右傾化したものだったのだろうか。

私の知る限りでは、日本の教育界を牛耳っている団体は左翼系の日教組が主である。どれほど左翼的かといえば、数年前に幹部職員が北朝鮮の式典に出席して右翼系の新聞に叩かれたことがある。また最近、中国寄りで知られる宗教団体の創価学会の信者である教員の割合も増えているという。創価学会はかつて宗教社会主義なる思想を掲げて公明党を結成したり、日中国交正常化に向けて古くから陰で外交工作をしていたことでも知られている。思想偏向のある者が大量に教職につくことが良いのか悪いのかの判断は保留するとして(実際のところ憲法違反と思うが)、いずれの陣営も右傾化にはほど遠い思想をもった集団である。

また、彼らが口をはさむ教科書も、戦争中の内容に関しては日清戦争日露戦争からずっと日本がアジアを侵略した、蛮行を働いたといった内容ばかりである。大国の南下政策や植民地化から国を守るという目的があったと思うのだが、その種の話は扱われた事が無い。また、日本の対外的な拡大政策の中には少しは善行もあってよさそうなものだが。たとえば、不毛の土地と見られていた中国北東部の有用性に初めに目をつけたのは日本ではなかったか。また、当時の日本の拡大政策は国際社会の承認を得たものもあったと類推できるのだが。さらに、教科書の中には、その定義や存在すらも疑わしい「従軍慰安婦」や「人体実験施設」、「三光作戦」についての言及があるものがある。従軍慰安婦の報酬は近年の研究で高額であったことが分かっており、単なる職業売春だったと史家が一蹴する始末である。また、人体実験施設も実験者なる者の証言だけが手がかりで、被験者や資料は全て処分されたというのだから、客観的に見て、そのような実験施設が存在していた可能性は半々であり、下手すれば安物の都市伝説である。三光作戦戦争犯罪の捕虜に施した中国の洗脳という説が今日では大勢を占めている。

試験に通るため、学校の成績のため、という大義の下で大半の日本人が記憶を強いられている一方で、実際と結びついて来ない「史実」が他にも沢山ある。戦後、東京裁判が開かれ戦犯が裁かれ処刑されたことも日本の教育は扱っている。多くの日本人にとって、死刑となった元首相の東条英機は独裁者で極悪人の軍人である。ところで、死刑囚たちの有罪とされた罪の内容は何で、どのように事実と判定されて刑がおりたのかは、多くの日本人が誰も知らないのである。裁判の詳細も公開されていない。独裁者であるはずの東条は戦局の打開が出来ないことで内閣を解散に追い込まれているのではなかったか。東京裁判それ自体や戦争を裁判で審理することの疑義の詳細はインドのパル判事の判決文やその解説書に詳しい内容があるのでこの場で殊更言及する必要はなかろうが、とにかく、私たちが学校で履修する歴史観は決して右傾化したものはなく、中立であるか、むしろ彼ら寄りの思想を、彼らの望む内容を、彼らの望む通りに植えつけられているのが実情でなかろうか。

それでも、中国や韓国を狼狽させるだけの「右傾化」が起こっていて、日本は反省しないといけないというのである。確かにそれらしい現象は起こっているかもしれない。現に、反日デモに対して多くの日本人が違和感と疑問を感じているのである。一昔前であれば、あれは日本が戦争中に悪い事をしたからだ、全ては日本が悪いんだ、ということになって事態は進んでいたに違いない。日本人の歴史の受け止め方に対する態度の変化が生じているのである。しかし、これは彼らの言う様な右傾化なのだろうか。書店にどれだけ右翼的な歴史観の本が並んで、ベストセラーになったとしても、それらが目を引くのは「特異的」だからであって、本当に右翼的な社会なら陳腐なものとして人々は一瞥もくれないに違いない。右傾的な主張は今も特異的、「ウヨク」であり続けているのだ。もっとも、自国を批判したり侮蔑することが美徳で、良い面を挙げる事が悪とされる今の風潮も変だが。

近年、中国や韓国を焦らせている日本人の歴史観の変化は、実は日本人が彼らとは違った形で歴史を正視しているからに他ならない。日本を始めアジアの近代の歴史は、ヨーロッパ諸国の植民地化と、その中からの解放の歴史であった。その一方で、中国はアジアの植民地化を進めるヨーロッパに領土を次々と侵食されながらも、時代遅れで自国の力に見合わない「中華思想」に陶酔し、対外的に夜郎自大に振舞ってきた。また、朝鮮はそのような中国の属国として、威を借りてこれまた同様の振る舞いを見せてきた。これらの歴史観と現今の歴史観との間には、周辺諸国の情勢を考慮した総合的な視点という点で明らかな差異がある。そのような背景の違いがあるので、日中の歴史観には温度差が生じても仕方ない。日中間の歴史問題についての話し合いや検証作業は、重要性が提起され、双方ともそれを認めているけれども、当面上手くいかないか平行線をたどることだろう。

歴史に「もしも」は無いにせよ、植民地になった場合に呑まなければならない数々の恥辱について考えた上で、一連の太平洋戦争を捉えてみる必要があろう。一部に、アメリカの要求を呑めば戦争は避けられたという考えがある。しかし、それによって日本の力は確実に弱体化し、しまいには圧倒的な武力侵攻によって植民地となり、搾取や治外法権、経済的な自立の疎外といった、国や人民が受けるあらゆる理不尽な扱いに耐えなければならない生活を強いられたに違いないのである。おそらく、現在の日本人が謳歌している豊かな生活は望むべくも無い未来に至っていただろう。そのような考察は、単に欧米的な見方で固められた大東亜戦争に対する見方を被抑圧者の視点から捉えなおす作業であるのみならず、戦後の沖縄問題を捉える一助ともなるのではなかろうか。沖縄県民は戦後30年近く上記のような恥辱を受けてきた。そして、そのような扱いに抗うことの重要性を認識していた。県には産業が育たず、何事にも国の補助金や優遇措置頼みの状態である。これはまさに植民地化の痕跡ではないか。

歴史観が特定の政治思想の利権を代弁する時代が終わり、私たち一人一人の過去の出来事の集成である時代が来たのだ。歴史を正視する事とは、過去の事のみならず、それに基づき我々の現在・未来を考察することでもあろう。中国、韓国がわが国に強いようとしている歴史観は、日本から、世界から再び平和を奪う、暴力を繰り返す者の歴史観である。

(C)2005,2006

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