はてなの決心高度

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。

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個人メディアに中立性は必要か?

このブログは、記事が100になったらやめるという予定で当初更新していたが、あっさり記事数が100に達してしまった。しかも、そのころからほとんど人の来ていなかった状態からアクセス数が増え始めた。それで、もう少し記事を増やしてみようということで、100記事で廃止の方針はやめることにした。

このブログの当初はtwitterの過去ログを単にコピーペーストしているにすぎないような状態だったので、字数制限による中身の少なさが記事の内容の広がりにも制限を与えていた。そのため、過去ログにさかのぼるとある時期までは短文の連続で要約したような内容の記事ばかりになる。twitterによる制限がばかばかしくなったので、今はそのような書き方はしていない。

そんな当初から記事には編集方針がある。といっても、よく考えられがちな中立公平みたいな方針は無い。むしろ、中立ではない立場での情報配信である。

私個人の試行様式も、世間の大抵の人たちの思考様式も、絶対に中立という状況は実はほとんど無いと思う。大抵、片方を選ぶ結論になるものだ。本当に中立なら、物事の選択に関わる判断すらできないで社会生活は成り立たないだろう。

よく、「十分な議論が尽くされていない」として政策の審議を引っ掻き回して延長を図ろうとする勢力がいる。これが日常生活の意思決定だったら、「健康への影響が十分に検証されていない」とか、「十分な安全性が確認されていない」とか言って判断を先延ばししていたら、食べるものは腐ってしまうし、電車なら出発してしまう。選ぶか、選ばないか、最低でもこのどちらかに偏向しなければ何事もできないのである。選挙だって全員が白票を投じるか、すべての政党の議席配分が同じになるように得票するだろう。みんな、何かを選んでいる。

物事にメリットとデメリットが大抵ある。あまり完璧に優れたものや、絶対的に間違っているものは大抵出てこない。選択は、そのメリットをとりつつデメリットにどの程度目をつぶるかで行われるものであって、デメリット部分は割り切って選ぶか、他の選択肢のデメリットに目をつぶってそちらを選ぶかである。

多様性を尊重するのは結構だが、それは中立ではない個々人が集合しているから成り立つことであって、絶対的に中立なスタンスなど無いことは明らかなのに、中立をこんな場で追い求めることはばかばかしいと思う。マスコミですら報道する内容とそうでない内容を選別していて中立性に欠けているのに、ましてや個人で中立を求める必要があるのだろうか。様々な考えを持った個人がいるのは当然なことで、個人メディアならその考えが反映されて然るべきだろう。

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