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はてなの決心高度

飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。

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佐賀県タブレットの有効活用

佐賀県が県立高校の教育にタブレット端末を導入するという話を昨年くらいにしていて、やや批判的な見方をしていた。それは大半の人たちがそうであり、強行して見切り発車したという感じがする。

教育現場では授業中に使用しようとするとトラブルが起こったり、導入してすぐに不評であるが、初年度にいきなり全県導入したのだから色々と混乱はあるだろう。購入してしまった以上は有効に使ってほしいところである。

ところで、教科書の代わりにPC、というのはいろいろと疑問があるのだが、教育現場で情報端末の適正な利用を指導するというのは賛成である。

インターネット黎明期にインドの貧困地区で通信会社が社会格差をなくすという名目で屋外にインターネット利用可能な端末を設置して子供たちに開放していた。このとき、単に開放するだけではなく、実際にどのように使用されていたのかをきちんと調べていたようで、その結果は社会格差がインターネットでなくなるとは思えないものとなった。子供たちに自主的に使わせていたところ、ネットの利用目的は知識の収集ではなく、彼らが楽しいと思うゲームなどの低レベルな娯楽として使われていた。

使い方も分からない中で誰かが偶然ゲームを発見すると、その使い方が口伝えで一気に広まって用途として定着する、学校のような場でも新種の遊びはそうやって広がっていく面があるが、インターネットにおいても同様の傾向があったのだ。以前にある作家(清水義範だったと思う)の兄弟の経営している塾で、工業高校の生徒が当時実習用に使っていた乾電池駆動のポケコンというBASICマシンのゲームを見せられて、それがシャーペンの芯を端子に接続してコピーされていたという話を読んだことがある。

大人がリテラシーが低い中で、子供たちはとんでもない方法でとんでもない物をどんどんシェアするのである。だから、ネットを与えれば世界の知識が入手できて、社会格差がなくなるのではない。社会のそれぞれの階層の中で、それぞれのクラスタの住人のレベルに合った用途で利用され、結局ネットの中にも社会階層のクラスタが出来てしまう。

その学習からか、スラム街でインターネットを社会格差を埋めるという名目で導入するときには、PCの知識のあるボランティアが使い方を指導する、といった教育をしながら使わせる方向になった。

日本は途上国ではないが、インターネット接続できる端末が携帯電話や小型コンピュータとでも言うべきスマートフォンで手元にあるのに、その適切な使用方法については誰も発言してこなかった節がある。そして、その使用方法は途上国の子供たちと同じ途をたどっているように見える。

世界に開かれたネットワークでさらされると自覚せずに不祥事の写真をSNSに掲載したり、近所の仲間内の出来事を書く程度の用途に使ったり、SNSで誘いをかけて性的トラブルという事件も然りである。一方でそこまであけすけに情報を配信しているのに、地方のトピックはネットで見つけにくい。地名で調べてみてもほとんどはYahoo地図とか電話帳サイトなどの「・・県・・郡・・町の情報・天気・周辺の飲食店」みたいな自動生成された中身のないページばかりが並ぶ。

別に強制的に地域の情報を掲載したサイトを作れとは言わないが、このページでもいわゆるガラケーのアクセスは0.5%程度になるほどスマートフォンが普及しているのに、その用途が不良の集会程度の残念な使い方しかされておらず、ネットがあっても地方の格差が埋まっていないという現状が放置されている。

自分が当たり前に浸かっている生活習慣を抜け出して、これまで知らないことを習慣づけるように仕向けるというのは教育の一つの効果であると思う。

佐賀県タブレットも単に教科書替わりだけではなくて、彼らの習慣になかったネットの利用方法に気づかせることにも有効に使えるだろう。それは社会格差を埋めるうえで必要な、特定の階層のクラスタから別の階層に移動するきっかけの要素である。学者が論文検索するような使い方をしろとは言わないが、せめて地元に関するネット上の有意義な情報が増えるくらいのことはしてほしいと思う。

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