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飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。

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今更「漂流家族」を視て思ったこと

知人から、5年くらい前のドキュメンタリー番組「漂流家族」を見せられて胸くそが悪くなった。放映当時、そういや2chのまとめブログあたりで画像のキャプチャつきで散々な言われようだったことを、動画を視聴しながら思い出した。

埼玉から北海道、そして再度埼玉へ逃げるように移住する一家の動向を見ていると、当時散々なコメントを投げかけたネットユーザーではないが気分が悪くなってくる。

自分からは他者に与えられるものが無くて、他者の善意を受け取る側。彼らが援助されることに表面的には恩義を表明しながらも、実際はそうは思っておらず、援助されることが当たり前になる。そして、他者から施される援助が尽きてくると、次の提供者を探して次から次に乗り継いで渡り歩く。

あまり他人との間に恩義の貸し借りを作りたくないという私の考えからかもしれないが、他者から施しが受けられるときはそれを無計画に消費し尽くし、困窮してくると受け取ってばかりの立場であることに引け目すら感じずに周囲が助けるべきという方向になる、この一家の性分は見苦しく感じた。

人と人との絆だか、助け合いだか知らないが、その大切にすべき人間関係を目先の利得のために切り崩し、本来自分たちが負担を負ったり、労することによって得られるものを受け取って食いつなぐ。それをその場しのぎのように繰り返す。この一家はこれまでそうやって生きてきたのだ。

そのような生き方でも家庭が持てたことに最近の世代は驚くかもしれない。だが、この夫婦の年代を考えると十分実現しうる。この家族の生きざまは、言い方は悪いが「バカでも幸せに生きられた時代の残像」なのだ。

1950年代終盤ごろの生まれであれば、ほぼ高校全入時代であり、高卒の肩書は容易に得られる。その後の就職も土木の他に、物作りでも末端の部品まで国内生産の時代であり、それに好景気が重なった。物販だって不実告知もどきの強引な売り方を悪いとも思わない風潮があった。高卒でも有名企業に就職できた。だから、馬鹿なままで社会に出ても、何らかの仕事につけることが当たり前の世代なのである。

だから、家族を養うには資質が無いような層でも簡単に所帯が持てた。そして、年数が過ぎると年功序列で一定の地位に就く。不勉強であっても問題にならなかったし、コンプライアンスの世の中では問題になる仕事をしていても無反省、経済的に無計画であっても収入に困らない。そんな生き方をしてきたのに無反省なままで高齢になり、周囲では年下の部下に囲まれてちやほやされる。かくして、プライドだけ高いモンスターが出来上がるわけである。

だが、それで一家の大黒柱ヅラしようにも、過去の偶然のタイミングでその立場を手に入れたにすぎないのだから、無自覚である面を自覚させられる局面になると、途端に困窮する。これまでの恵まれた環境は、所詮は過去の幸せだった時代の遺産を食いつぶしているに過ぎないからだ。

それは、このドキュメンタリーの父親のように、仕事の少ない地方に移住してプライドだけで仕事をやめて困窮する事態になったり、自宅を新築する大きな義務があるのに資金計画が立てられないといったところで露呈する。

一見すると、計画が思わぬ形で破たんし始めるようにも見える。だが、本当は最初から破たんする運命だったのだと思う。資金を用立てられないで牧場主に借りに行った段階から。そして破たんしたら、逃げたり、他人の善意に再度甘えて、助けてもらってリセット。牧場主のゲンコツだって、それで返済が必要ないならば痛くもなかっただろう。また初めから同じことを始めるのだ。その繰り返しなのだ。

この年代には結構多いタイプだと思う。それより前の世代だと底辺労働者で一生が終わる。それより後の世代だとフリーター派遣社員だ。あるいは、まだ知的な業種のシェアが低い地方ならば、高卒で取得できる資格があれば一生安泰だと思い込んでいるような程度の層でも、こういったタイプはいるかもしれない。いわゆるDQNである。

カルト宗教に没頭したり、マルチ商法にはまって、勧誘ノルマの達成と一時的に会員が倍増することで自分に入ってくる利益が欲しいばかりに、親しくしていた友人に強引な布教行為や販売勧誘を行って、人が離れていっても本人は無反省な人たちがいる。だが、人と人との関係を食いつぶして生きているのは、カルト信者だけではないということだ。