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飛行機は初代塗装の日航DC-8が好きです。ちなみに飛行機の話題はゼロです。

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不登校Youtuberの10歳に思ったこと

沖縄県の10歳の不登校Youtuberなる人物が、不登校は不幸ではないと琉球新報で主張して批判されている。その主張が親から言わされているという説もあるし、父親が子供を商売に使うためのプロモーションという説もあるが、それは差し置いて学校に行かないという選択肢は、否定的に捉えるべきではないと思う。

例えば、沖縄の教育環境は良いとは到底言えない。勉強する雰囲気も無いし互いに牽制し合って足を引っ張り合うと言われ、荒れて逮捕者が出る成人式で見て取れるように学校内も荒れている。沖縄県では県内の教育に見切りをつけて、教師の子供が県外の学校を受験させるというから、現場の人間が改革しようという気を根本的に削ぐようなものがあるのだろう。そんな学校を卒業まで通っても、待っているのは貧困である。大学に行くにはまともなところは受験できない学力であるし、就職するにしても地元企業で最低賃金ギリギリのラインで脅されながら酷使されるところばかりである。観光産業が多い為、季節や景気に左右される。勿論、中退やフリーターとなるともっと不安定な立場である。だから、地域によっては真面目に学校に通うほど、大学進学や世間並の生活水準を手にするまでのハードルが高い場合がある。

それが嫌なら他の地域に行けばいいが、子供が簡単に住む場所を変えるのは難しい。自分の置かれている環境や立場を理解し、将来への危機感を持ち、悪い将来を自ら変えていこうとする意思を持つことは悪くないことだ。周囲の悪い環境に毒されず高い志を保つ為に学校へ行かず、自学で将来を掴むのであれば応援に値する。地獄からの脱出を邪魔して、周囲に合わせて一緒に割を食え、絶望を座して待ち受け入れろとこの先数十年生きていくであろう子供達に強いる気にはなれない。地域の標準とされている人生のコースに見切りをつけて、良い方向へ向かうことは責められる行為ではない。別に全国でも大学進学を念頭に早期から受験したり、周囲を差し置いたエリート校へ進学する者は普通にいる。それは同年代の周囲の連中とは別の道を行くことであり、子供心に大変かもしれないが、大人になったら気にならなくなる。同じような境遇の者で集るようになるし、狭い地域内の優劣で虚勢を張っている連中とは共通の話題が無く、境遇も違いすぎて疎遠になっていく。

Youtuberである必要はないが、不登校という選択肢はアリだし、決して不幸ではないのは事実である。ただ、それは将来恐るべき利回りで大化けするような生き方をすべく準備している場合である。そういった場合は、結果とともに艱難辛苦いっさい消し飛んで不登校は不幸ではなくなる。一方、社会の枠組を作った者が用意したものを毎日刹那に消費するだけの立場なら、その不登校は不幸だから学校に行った方がいい。例えば、将来展望も無いのに不登校でゲームやYoutubeだけしている場合である。動画配信だろうがゲームだろうが、誰かが用意した仕組みに場所を借りて使っているに過ぎない。多少、それで収入があろうとも、その場が無くなったら今後の収入は消える。そして収益額は運営が決めるので、運営の方針が急に変わっても、意味不明な理由で利用停止になっても、収入は消える。勿論、仕組みを作っている者が一番収益を得ている。利用者など、その場を借りている捨て駒に過ぎない。そこで運営に反発して自分が活躍する為の場や仕組みを作れるだろうか。運営に携わっている者は、特にGAFAなどはよりすぐりの有名校卒ばかりである。運営のノウハウ、プログラミングなどの環境整備、トラブルへの対処、全て手慣れている。専門知識や学術の裏打ちがあり、成功すべくして成功している。それに勝ったり、競合できるか。せいぜい誇るような学識もノウハウもスキルも無い者から順に淘汰されて終わりである。

それで結局、不登校Youtuberはなんの価値があるのだろう。学校をけなすことで価値が生まれるのであれば、それ以外の価値を生んでいる者に太刀打ち出来ない。不登校だろうが何だろうが、数年後には中学を卒業することになる。その時に、不登校Youtuberは単なる中卒就労者と同一になる。学校批判以前に、別に学校へ行くのは義務で無くなる。そして、就労するには著しい分野の制限がある。せいぜい、誰かに安くこき使われて使い捨てされる仕事ばかりである。学校へ行かない自由や勉強しない自由を謳歌した代わりに、一生貧困と酷使が待っている。学校へ行くのがロボットの様だと批判していたら、要するにロボットで単純作業したほうが良さそうな仕事しか出来なくなって自分がロボットの様になるのである。

不登校Youtuberへの批判に対して、一部界隈の「文化人」による互助会的な支持意見が見られる。不登校Youtuberはこのまま順調に行けば5年後にはただの中学卒の中に紛れる。10歳というプレミアな肩書が時間経過で失われたら、ただの中学卒だ。その時も、琉球新報に称賛のコメントを寄せた一部界隈の連中は称賛や支持を続けるのだろうか。そして、中学卒業後に進学しなければ就労するしかないが、行ける分野が限定された中で劣悪なものしか選択肢が無い。その時に一部界隈の連中が雇用を約束してくれたり、就労先を斡旋してくれはしないだろう。一部界隈はせいぜい目についたものを片っ端から消費して自分の文化人っぽい立場を演出しているだけで、その実は無責任な言い放ちの連続に過ぎない。数か月後には不登校Youtuberなど忘れ去っている。数年後に単なる中学卒の有職青少年とさして大差ない不登校Youtuberに対して、彼らが引き続き文化人目線で何かしらのことを絶賛し続けるのか、見ものである。ある意味、残酷な未来予想だとは思うが、大半の者が思っているような将来になると思えてならない。